昨日はひたすら
辛い、苦しい、しんどい。
誰かに助けてもらいたい。
と思っていました。
そういえばこういう苦しさは、大学受験のときと卒論書いてるときにあったな〜。もうイヤイヤやってるって感じで、誰かに代わって欲しいって思ってるんだけど、誰にも助けてもらえなくて、一人で戦ってる感じ。ここで勉強をやめたら終わりだ、ここで卒論仕上げられなかったら卒業できない、みたいな。その時私は「いやだ」という気持ちを完璧に無視して、ただがむしゃらに勉強したり、卒論に向かうことで乗り越えてきました。その方法しか思いつかなかったから。
でも、私の主治医によると、そういうやり方は30代に入ると無理になってくるのだそうで、他の方法を探さなければならないのだそうです。それには、よい意味での脱力と諦めが必要なのだそうです。でも私にはそれができていない。人によってはそれを昔からずっとやっている人もいるし、何かをきっかけに掴む人もいるだろうし、私みたいにつかめなくて、昔と同じ方法でやろうとしてつぶれそうになっている人もいる・・・のだと思います。
さて、そんな状態でどうしたものか・・・まだ私には分かりません。例えば仕事なら「最後まで終わらなくても後は上司が何とかするだろう」っていう脱力が必要なのかもしれません。学校のレベルチェックテストになら、「前と同じレベルから始められなくてもいいじゃない」っていう諦めが必要なのかもしれません。でも私にはそんなに上手く、脱力することも、諦めることもできなくて、もがいています。
辞めるときに上司や他の人に迷惑をかけたくない、学校に復学するなら前と同じレベルから復学したい、そんな気持ちがとても強いです。脱力したり諦めたりすることは、私にとって「怠ける」ことであり、「怠ける」ことで、仕事が終わらなかったり、同じレベルから始められなかったりする、といった状況に陥ること、そんな自分になってしまうことが許せないのだと思います。
でも今、私はそんな自分ゆえに苦しんでいます。苦しんで、苦しんで、つぶれそうになっています。耐え切れずに会社をお休みしてしまうこともあります。これってまさに本末転倒だなぁと頭では分かっているのですが、なかなか心では割り切れずにいます。どうしたら適度な脱力と、諦めを手に入れられるのか、私には分かりません。
今日は会社に行きたくないと思わずに起きることができました。久しぶりのことでした。フンフンと鼻歌を歌いそうな勢いで朝の準備をして会社に来ました。午前中は仕事も順調に進みました。きっかけは何か分からないけれど、少し心の中でよい諦めと脱力ができたような気がします。
「ここまで必死で翻訳やってきたんだ、文句あるか!」「休学してからも英語の勉強は続けてきたんだ、文句あるか!」な勢い。変な開き直り、かな?!今まで一生懸命翻訳の仕事をしてきた自分、そして一生懸命勉強してきた過去の自分にちょっと感謝です。そんな過去の自分が今の私にちょっとした勇気を与えてくれたおかげなのかもしれません。