節約生活

働きながら子育てするしーちゃんの節約日記

今日で福知山線脱線事故から2年が経ちました。今でも「福知山線」「脱線」「事故」「JR」といった言葉を書くのも話すのも辛いです。あれから2年。早かったような、長かったような2年でした。当初、25日は会社を休んだ方がいいよという、あきさんや母の勧めがあって、休もうかどうか悩んでいました。でも、乗らなければならない気がしていました。事故と向き合っていかなければならないという気持ちからだったのかもしれません。昨日の夜から手が震え、時々動悸が激しくなっていましたが、それでも乗ろうと思っていました。
駅には記帳所ができていました。そして通勤の快速電車の中では、伊丹駅を出た後、脱線事故から2年が経ったということ、これから二度とこのようなことが起こらないよう、全力を尽くしていくことなどのアナウンスが流れました。涙は出ませんでした。
心を凍らせて乗っていました。そうしなければ、辛すぎて、苦しすぎて乗れませんでした。大阪駅に着いたときには、ヘトヘトに疲れていました。会社でも手の震えは止まらず、仕事に身が入りませんでした。手の震えのせいでパソコンを打つのが難しく、仕事をできる状態ではなかったので、どうしたものかとあきさんに電話。やさしい言葉をもらいました。その言葉だけで一日仕事をがんばれる気がしました。それから病院の先生にも電話。手が震えるのは緊張性のものだということでした。頓服のお薬を飲むこと、それから落ち着くための呼吸法をするよう指示がありました。いつもやさしい先生は今日もやっぱりやさしくて、穏やかに話してくださいました。先生の温かさにも励まされました。
まだ私は事故を乗り越えられていないのだと思います。現実を受け止めきれていないのだと思います。なぜあんな事故が起こってしまったのか、なぜたくさんの人が亡くならなければならなかったのか、なぜあの路線だったのか。それは事故調査委員会の調査結果が出ても、多分消えることのない疑問なのだと思います。
私が現実をきちんと受け止め、乗り越えていけるようになるまでには、まだ時間がかかりそうです。