節約生活

働きながら子育てするしーちゃんの節約日記

あれから1年。
まだ1年。
もう1年。


私の心はまだまだ立ち直りきれずにいます。


私が死ねばよかった。
私が本当は死ななきゃいけなかったのに。


そんな気持ちと、


でも、生きていたい。


という気持ちがあって、混乱しています。


朝からテレビではバンバンニュースが流れていて、駅では折鶴コーナーや記帳所が設けられ、ボランティアの方が「あの日を忘れない」というリボンつきのメッセージカードを配ってらっしゃいました。
そのカードにはこんな風に書かれていました。


あの日、あの列車には様々な思いを抱えた多くの乗客が乗っていました。そして、たどり着きたかった場所へいけずに奪われてしまったたくさんのいのち。
あの朝、青く澄み渡っていた空―事故に関わった、多くの人の記憶に残っているこの「空色」のリボンには、たくさんの思いが詰まっています。「あの日を決して忘れない」「あの日、いけなかったその場所へみなで一緒に行こう」という思いをこめて、このリボンを付けて乗車いただければと思います。今日一日、このリボンがあなたと共にありますように・・・。


私はどこへ行けばいいんだろう?


事故以後、一度も乗ったことがなかった2両目に乗りました。
事故前はいつも私が乗っていた車両です。
2両目の一番後ろ。
ドラエモンのぬいぐるみをつけた黒いバッグを抱えた専門学校生と思しきあの女の子は今どうしてるんだろう?
いつも伊丹で降りていたこっそり「バカボンのおじさん」と私が名づけていたおじさんはどうしてるんだろう?
1年前、毎日のように顔を合わせていた彼らに会うことはありませんでした。


車内アナウンスが流れました。事故から1年が経ったこと、これから二度とあのような事故を起こさないという誓いが流れました。


涙が止まりませんでした。


会社につくと、過呼吸が始まりました。
手元に袋がなくて、苦しくて、苦しくて、病院に電話しました。
先生と電話で話しながら、呼吸を少しずつ整えました。
でも心は乱れたままでした。


私はどうやって生きていったらいいんだろう?
私は生きていてもいいんだろうか?


涙が止まりませんでした。


気分が悪いからと会議室で少し横にならせてもらって、上司の計らいで、帰ることになりました。
とても仕事ができるような状況ではありませんでした。


会社の最寄り駅で、電光掲示板に「宝塚」という文字が出てきました。
そう、私は宝塚行きの電車に乗って家に帰るんだ。
自分の家に帰るんだ・・・。


私の記憶があったのはそこまでです。
次に記憶が戻ったとき、私は病院で泣きじゃくっていました。
看護婦さんに手を取られて、子供のように泣いていました。


先生と少しお話をしました。


やっぱり私は、生きていていいのかどうか分かりません。


空色のリボンをつけて、私はどこへ行ったらいいのか分かりません。